近所の商店街に、昔なつかしい雰囲気の食料品店がある。下はたたきになって、木枠のついたガラスケースに、そばやうどん玉が並べてある。奥のほうには海苔、かつおぶしの乾物が並んでいる。ある日、店の前を通ったら白い割烹着を着たばあさんが、客の相手をしていた。私はどういうわけだが、年寄りが働いている店に弱い。そういう店を見かけると、用もないのにふらふらと入っていってしまい、何か買うものを無理やり見つけて、買ってしまうのである。そのばあさんは、多少、腰は曲がっていたが、しゃきしゃきと働き、「えーと、あとは、うどん玉みっつと、かつおぶしだったね」といいながら、手早く包装紙で商品をくるみ、「はい、五百七十円」といってお金をもらっていた。
私が入っていくと、ばあさんは、きっぱりとした口調で、「いらっしゃい」といい放った。日持ちのする乾物を何種類か買うと彼女は、「はい、五百七十円」といった。たしか私の頭のなかで計算すると、九百二十円になるはずだったのだが、彼女は堂々と「五百七十円」と宣言するのだ。「あのー、それじゃ安いような気がするんですけど」「これとこれで三百円、これが二百十円、これとこれで三百七十円でしょ。ほーら、全部で五百七十円だ」ばあさんは、どうだといわんばかりに胸を張った。「あのー計算が違うんじゃないでしょうか」 「えっ、そう。でも五百七十円だよ」ばさんは自信満々である。 そのとおり払えば、私はすごく得をしてしまうが、こんなことで得をしたってしようがないのだ。
世の中はうまくできていて、物を買っておつりを貰ったときに、金額が多いときがある。しかしその半面、自動販売機の調子が悪くて十円、二十円を取られてしまうこともある。ちゃんとプライスマイナス、ゼロになるようになっているのだ。ましてやこの場合、相手はばあさんである。ばあさんをだますと祟られそうで、私は首をかしげるばあさんに、九百二十円を渡し、急いで帰ってきた。そして何か月かの間はその店にはいかないようにしていたのだが、ついこの間、店頭の、「自家製、煮豆あります」
という貼り紙を見て、またふらふらと店内に入ってしまった。アルミのお鍋には本当に美味しそうに煮あがった黒豆があり、ばあさんに二百グラムくださいと頼んだ。 「うちのは、美味しいからねえ」ばあさんはそういいながらビニール袋に黒豆を詰めて渡してくれた。「百グラム、二百五十円だから、二百グラムで五百七十円ね」 またまた私はばあさんの前でかたまってしまった。どうもばあさんの頭のなかには、「値段は五百七十円」がインプットされてしまって、客が何を買っても、五百七十円としかいわないようなのだ。
「あのー、百グラムが二百五十円だったら、五百円じゃないでしょうか」とおそるおそるたずねても、ばあさんは割烹着の胸を張って、「二百五十円の倍だから、五百十七円!」と堂々といい放ち、早く金を払えといわんばかりなのである。私は仕方なく五百七十円を払った。「はい、ありがとう」ばあさんはけろりとしていた。今度はゆっくりと店を出たが、ばあさんは追いかけて来なかった。それだけでなく、背後からは、阿多から来た客に向かって、「二百円と百円で五百七十円」ときっぱりといいきる、ばあさんの声が聞こえてきたのだった。
Commentaires
Aucun commentaire pour cet article
Trackbacks
Aucun trackback pour cet article


